2020年9月24日木曜日

林 雄三先生を偲んで

 林 雄三先生は、病理医として厳しく優しい先生でした。今年の1月にいただいた寒中お見舞いには、約10数年前に大腸や胃潰瘍の手術を受けられその後は安定されていたこと。その後、肺線維症を患われ入院し退院後は、在宅診療(在宅酸素)での生活を送られていたことをお知らせいただきました。特にコロナ禍において生活が一変し林先生もご不便されていたと想像します。 残念ながら7月末、安松先生から林先生が亡くなられたとの訃報の連絡がありました。

 私が1979 4広島大学病院検査部病理検査に入った当時、林先生は病理学第二講座の助教授でおられ外科材料の切り出しに来られた際に、初心者の私に病理の面白さを教えてくださいました。その後1985年1月より 安佐市民病院 の常勤病理医(主任部長)となられました。当時、私は頸椎の異常が見つかり 1988年冬に、安佐市民病院の整形外科に入院し環椎の固定手術を受けました。術後、林先生と安松先生がお見舞いに来てくださり、 坊主頭でハローベストを装着し頸椎固定している私の状況をユーモラスに、まるでロボット!不便だねと心配してくださいました。退院後の定期的外来受診には、必ず病理部を訪ね、経過報告を林先生にするようにしていました。そんな当時、お彼岸に開花する彼岸花(曼珠沙華)が好きと教えていただきました。線が細く情熱的な林先生の人柄に似ている花と思いました。ちょうどこの季節に見かける赤い印象的な花ですが、自然に興味を持ち積極的感受することが大切と思いました。リハビリを兼ねガーデニングを始めるきっかけとなりました。

 林先生は、日本臨床細胞学会広島県支部の赤本が発刊された1984年から2004年まで20年間長きにわたり役員を務めておられます。外科病理学や診断病理学が注目され始めた90年代前半、検査雑誌への執筆もされています安佐市民病院を退職されてからは、たかの橋中央病院併設施設・介護老人保健施設 陽だまりの施設長を務められお兄様の援助をされていたそうです。
 お会いする機会がなくなり痛惜の念でいっぱいです。心からご冥福をお祈りいたします。

安佐市民病院主任部長として活躍されていた当時、検査雑誌での掲載タイトル
1.  臨床検査 37巻 6号 pp. 642-646 (1993年06月)
        甲状腺癌(乳頭癌,濾胞癌,未分化癌)今月の主題 「甲状腺の検査  病態解説」
2.  medicina 31巻11号 pp.778-779   (1994年10月)
    増刊号 これだけは知っておきたい検査のポイント 第5集  「病理検査   迅速病理診断」
3.  臨床検査 39巻 11号 pp. 234(1995年10月)
    ミニ情報「免疫組織化学と廃液処理」
       
  
  

1985年4月 安佐市民病院臨床検査部主任部長(病理部主任部長)として着任
された当時の岩森病院長、安松先生、田中氏との記念撮影(田中信利 提供)



朝日新聞デジタル(2013年8月4日 朝刊)に、林先生の幼少時の原爆体験と原爆の爪痕についての文章を残されています。
朝日新聞の紙面から - 広島・長崎の記憶~被爆者からのメッセージ - 朝日新聞社
瞬間、炎で覆われた空 広島県東区 林雄三さん (73)

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